Episode❷  勝浦で塩づくり編
 
勝浦の海水がものすごく美味しかった

 

− 勝浦に来て『お塩』を作り始めたきっかけを教えてください。 

  田井さん

東京での仕事がなくなってから部原のアパートに移住して、 最初の半年間は本当に何もせずにやさぐれていました。毎日海に入ったり、お酒を飲んだり、そうやって暮らしていたんです。でも「このままじゃまずいな、なんかやんなきゃな」とずっと自問自答していて。

 

そんなとき、いつものように海に入っていたら”海の恵みを使えばいい”と天から言葉が降ってきたというか。それで、「ああそうか、塩作るか」と閃いたんです。 というのも、実はサーフィンを始めた当初から「ここの海水はこんな味、この海水はこんな味」と、海水を飲む「利き海水」という変な習慣を無意識でやっていたんですよ。「ここの海水はどんな味がするだろう」という興味本位で。それで、勝浦に初めて来たときも同じように海水を飲んだら、ものすごく美味しかったんです。しょっぱいだけじゃなく「なんでこんなに旨味があるんだろう」と思って、ほんとにびっくりして。すごくいい海水だなと感じていました。

 

その後、移住したときに同じアパートに住んでいた先輩から、以前住んでいた小笠原に”フルムーンソルト”というものがあるという話を聞いたんです。「フルムーンソルトって何?満月の塩?」と興味を引かれ、詳しく話を聞かせてもらい「それ僕もやりたいな」と思ったんです。

 

でも、塩を作ると言ってもやったことなかったので仲間を頼ったところ、勝浦や千葉の情報をよく知っている方がいて、その方からお塩を作っている人が知り合いにいると教えてもらい、南房総の千倉でお塩を作っている「福原商店」さんを紹介してもらいました。その後、福原商店さんが塩を作る際に伺って勉強させてもらって、実際に僕も塩を作らせてもらいました。

また、以前にご縁があった静岡県の御前崎塩を作っている方がいたのを思い出し、すぐに連絡を取ってそちらでも実際に塩作りを勉強させてもらいました。「これならなんとかできそうかな」と大体のイメージができたので、そこからはもう一直線でした。

 

− 勝浦の中でも鵜原という場所を選んだ理由を教えてください。  

  田井さん

実際、勝浦のいろんなところの海水を飲んでみました。「ここだ」と思うところの海水をポリタンクで汲んで、実際に塩にしてみたら、鵜原がダントツで美味しかったんですよ。また、海水が生活排水の影響を受けてしまうため、人が住んでいない、人家が少ない場所ということが第1条件だったんです。そういった意味で海水が薄まらず、最も海水濃度の高いところがこの鵜原理想郷だったんですよね。

勝浦塩「新月の煌(きらめき)」「満月の刻(こく)」

 

− お塩は2種類作られていますが、2つにした理由はなぜでしょうか?

  田井さん

フルムーンソルト、要は満月のお塩を実際に作ってみたら海水を汲んでお塩になるまでの期間として大体2週間かかったんです。 2週間かかると、次は新月のサイクルになるんです。それで、あるとき新月で作ったお塩を成分分析にかけたら、全く違う味のお塩ができたんですよ。物理的にも月2回しかできないので、今は新月と満月、2種類のお塩を作っています。

 

− 正直、最初は私に違いがわかるのかなって思ってたんですが、食べたら全然違うなと感じました。

  田井さん

重力によって味が変わるんです。

新月のときは地球の下側に引っ張られる力が非常に強くなるんです。上層の海水は結構穏やかなんですが、中でも上層〜中層の海水のミネラルが割と入りやすくなっていて。鵜原理想郷の断層は石灰岩が多いため、カルシウムが非常に多いんです。それがお塩の成分に含まれることよって、まろやかな味になるのが新月の塩の特徴なんですよね。

逆に、満月のときは上に引っ張られる力が強く、産卵が盛んになったり、プランクトンが豊富になります。それをお塩にすると特にマグネシウムが1番多くなります。マグネシウムは塩味とコクが高いので、新月よりちょっとしょっぱいのが満月の特徴です。なので、お料理に合わせるなら、お肉や天ぷらなどは満月の塩、素材を生かしたお野菜やお魚は新月の塩が合うのかなと思います。

 

− 成分の違いが味に現れるんですね。私も料理に使うときはしょっぱさによって使い分けています。

 

勝浦塩製作研究所でのお塩づくりの様子

 

− 「お塩作りをして販売する」ということは起業にあたると思いますが、手続きや準備は何かありましたか?

  田井さん

僕はずっとサラリーマンだったので、自分が個人事業主となって起業するのは初めてでした。周りの方にご相談させていただいたときに 「"かつうら創業塾"っていうのがあるよ」と教えてもらいました。勝浦市商工会が主催していて、勝浦で創業するために、まずその塾で勉強させてもらうことができるシステムだったので参加しました。それまでは事業計画書を書いたこともなかったし、初めて聞く言葉も学ばせてもらって、すごく勉強になりましたね。

 

−  起業するまではどのくらいの期間かかりましたか?

  田井さん

お塩を作り始めようと思ってから、半年ぐらいかかりました。同時並行で場所探しもしました。

今、お塩作りをしているところは漁協さんが管理している場所なので、東京からポッと来た人では中々借りれないんですが、お世話になっている勝浦の方経由で紹介していただいたおかげで、手続きを踏んで場所をお借りでき、お塩作りを始められることになったんです。

 

ここは元々養殖場で、室内には「ダンべ」と呼ばれる水槽が並んでいたんです。最初に訪れたときの状態は、20年以上使われていなかったので廃虚のような状態でした。使わない物を全部出して綺麗にしてから窯を2機作ろうと思い、そういう類のことが得意な知り合いに相談しながら一緒に作って、2ヶ月ほどで今の場所を作りました。

2021年5月〜勝浦塩製作研究所を開拓していく様子。

 

−  その中で大変だったことはありましたか?

  田井さん

大変だと思ったらなんでも大変なんだろうけど、ポジティブな性格なのでそんなに大変なことだとはあまり思いませんでした。ネガティブなことがあっても「これは試練だな」みたいな感じで、超えられない壁は無いと思ってやってきているんです。それに、元々は自分ができると思って始めたことなので。

いろんな仕事がありますが、仕事って皆それぞれ大変じゃないですか。楽な仕事なんてないと思うので。だから、僕にとっては大変なことは別になくて、楽しさとワクワク感だけで突っ走って形にしましたね。でもやっぱりひとりの力じゃどうしてもできなくて。とても協力してもらった方々が周りにいるので、本当にその方々に感謝しています。

 

−  お仕事のやりがいを教えて下さい。

  田井さん

海の恵みをもらってお塩にして、そのお塩が世のため人のためになるなら、僕自身それがすごく幸せだなと思っています。みんなに喜んでもらえるような仕事になるのは、すごくやりがいがあります。 それと、勝浦の名産となるようなものを作りたいなと思っていて。勝浦はお魚をはじめとする魚介類がとても美味しいので、 そこで育った魚たちに、同じ海水から作ったお塩が合わないはずがないと思っています。例えば、勝浦でよく採れるカツオだったら”塩たたき"みたいな形で、僕のお塩と勝浦のお魚を組み合わせることで、勝浦の名物を作れたら嬉しいなと思っていますね。

 

−  「勝浦塩製作研究所」の今後の展望を教えてください。

  田井さん

起業してから2年が経ち、2023年11月で3年目になりますが、これからもこの事業を持続させたいと思っています。まずは、勝浦の方々にこのお塩を認知してもらって、ゆくゆくは勝浦の名産として日本全国に展開していきたいと考えています。最終的な目標は「宮内庁御用達」として天皇陛下にお塩を献上できたらいいですね。それが何年かかるのかは分からないですが、長い目標として目指していこうと思っています。

 

今は僕がひとりで全てをやっていて、量を増やすにも限界があるので、今後は増産を見据えた雇用や生産体制なども整えたいなと考えています。 また、ふるさと納税も始めたので、例えば勝浦塩 × 地元の産業とコラボなどをして、勝浦の税収を上げられるようなものや勝浦のためになるようなことをしていきたいなと思っています。

次がインタビュー最後のページ。実際に勝浦へ移住して体験したこと、思ったことを伺いました。